TOKYO DESIGN OFFICEの荒川です
KOMAZAWA modelとうとう建て替えることになりました。
解体工事も完了し新しいmodelの工事が始まっているころです。
もう10年近くたってしまいました。
この建物TOKYO DESIGN OFFICEの前身であるSHIBUYA DESIGN OFFICE
のルーツのような建物で、いよいよ解体するという話を聞いて、この建物を設計した
吉村くんとインテリアの小野さんが、計画にかかわりの深かった私と岩井くんに声を
掛けて四人でお別れをしに行ってみよということになり、ワインとつまみを買い込んで
出かけました。
ヘーベルハウスさんは構造はいいんだけど外観が・・・・
今でこそそんな話はあまり耳にしなくなりましたが、当時はお客さまと打ち合わせをす
れば、ほぼ間違いなく言われていた言葉です。
自分たちが設計をしているエリアの住宅を実際に見てみようと初めてフィールドワーク
に出かけたのもこのころです。
街に出て、自分たちの設計している建物を何件も見て、実際かなりショックを受け、
先ずは外構からはじめようということで当時ずいぶん外構や植栽や配色に力を入れて
設計していました。外装材に関しても、石材調のシートを張ってみたり、無収縮の弾性
シーリング材で目地を消してみたり、できることは手当たり次第やっていたような気がし
ます。そんなころ、割り石肌のへーベル版が登場しました。
これだったら何とかなるという思いが、われわれの中で大きくなり形の重要性がいよい
よクローズアップされるようになっていきました。モノフォームという言葉が社内ではやっ
たのもこのころです。計画を進めていくなかで、いざきれいな形を作ろうとしてもボキャブ
ラリーも貧困で、ちょっと暗礁に乗り上げていたとき、商品企画の工藤さんがこんなのど
うと一枚のスケッチを持って現れました。当時のわれわれの目には見たこともない新鮮
な形に映り、その形をベースに検討を重ねていった結果が今まで建っていたKOMAZA
WAmodelというわけです。外壁の色も当時アースカラーばやりで、黄土色や濃い茶色
が主流の中、吉村くんと話し合い、病院みたいでだめという周囲の反対を押し切って、
この形ならモダニズムの白しかないでしょとムーンミストのKOMAZAWA modelが出来
上がりました。
この夜4人で話をしながら昔の話がいろいろと思い出されました。
実際KOMAZAWA modelが出来て以来、今までであれば来場されないと思われる
お客さまがどんどん来場されるようになりました。
この建物がなかったら、今のヘーベルハウスはなかったし、
TOKYO DESIGN OFFICEは存在していなかったと思います。
今回新しいKOMAZAWA modelの計画には、TOKYO DESIGN OFFICEは関わ
っていませんが、また吉村くんを中心にほぼ当時のメンバーで計画が完了し、現在
オープンに向けて工事中です。出来上がるのが楽しみです。
吹き抜けにスケルトン階段というボキャブラリーがヘーベルハウスの中で当たり前になっ
たのも、ここがはじめのような気がします。当時吉村君がこの階段のささらのいなずま型
にこだわって時間を掛けて設計していました。連窓したロングFIX窓のの間の壁仕上げや
大きさをどうするかというような話もずいぶん真剣にしていたことを思い出します。
小野さんが計画した仕切れる夫婦の寝室という計画も当時話題になっていました。
TOYOキッチンさんとの付き合いもこのころからのような気がします。