東京デザインオフィスのマツオです。
現在発売中のヘイルメリー6月号に荒川のエッセイ「住宅をつくるということ 第2回」が掲載されています。6月号もあの片岡義男さんのエッセイのお隣、見開き右ページです。これは荒川の定位置になるのでしょうか・・・何度見ても羨ましい、いや、ほんと羨ましい。
さて、当スタッフblogでも、この荒川の「ハウスデザイナーからの手紙」を毎回、前月号掲載分をご紹介してまいります。今回ご紹介するのは、5月号掲載の「住宅を作るということ 第1回」です。
【ヘイルメリー5月号掲載】
ハウスデザイナーからの手紙「住宅を作るということ 第1回」
住宅の設計というと、イコール間取りを作ることと考えている方も多いのではないかと思います。私のまわりにもそう思っている人たちはたくさんいると思います。効率よく廊下を短くして、収納をたくさん作る。個室も、リビングも少しでも大きく、5.5帖よりは6帖、12帖よりは15帖のほうがいいんだと部屋の帖数を少しでも大きくすることに固執する。収納率というような概念を持ち出し、家全体の床面積に対する収納の面積を大きくする。南向きの窓がいいんだと、たとえ南側でもほとんど光も入らない場所に懸命に窓を設ける。
こんなことに時間を費やして、果たして良い家ができるものでしょうか。今回は「良い家」と漠然と言っているものは一体どんな家なのかということを中心に、私が日常設計している目線で書いていきたいと思います。
住宅を設計するということは決して間取り図を作ることではありません。間取り図というか平面図は建物の構成を概念的に理解するにはとても便利なものですが、実際に出来上がった家から逆に平面図を想像することはかなり困難な作業です。建築家とかデザイナーと呼ばれる人たちは、職能的に平面と空間をすぐに結び付けられる人なのだと思います。だから平面的な紙の上で3Dの空間を設計できるわけです。
人は家を外から見た時あるいは中に入り込んだ時、空間や形でその家を感じとっています。出来上がった空間は平面図のように真上から見えるもののではなく、ほとんどの場合水平方向に眺めて空間を感じます。その時に奥行きや高さや明るさを同時に感じているはずです。というか明かりがなければ何も感じられないのですが。
それで入った瞬間に、ああなんて気持ちが良いのだろうとか、なんとなく居心地が悪いなどさまざまな印象を受けるのだと思います。たとえば住宅展示場に入った時、良く観察していると、さっさと通り過ぎてしまう場所と、なんとなく引っ掛かり、長い時間そこに留まったり、一度全体を回った後にもう一度その場所に戻ってくるような場所があります。この違いは何なのか、おそらく後者の方が居心地の良い場所になっているということなのだと思います。
私はもう30年以上旭化成ホームズでヘーベルハウスの設計をしています。建築学科の学生だった年数も加えるとなんと37年間、人生のほとんどの時間を設計という作業に費やしていることになります。もちろん初めからこんなことを考えていたわけではないのですが、最近は住宅を設計するということは気持ちの良い空間、あるいはその建物が単体で形がきれいというよりは、街並の構成要素としてその住宅が美しく見えること、そんなことも気持ちの良さの一部であり、住宅の設計をするということは、気持ちの良い居場所を作ることであると確信するようになりました。
ではどんなことを考え、どういう組み立て方をすると気持ちの良い空間やきれいな形ができるのか、ということを何回かに分けて綴っていきたいと思います。