東京デザインオフィスのマツオです。
現在発売中のヘイルメリー9月号に荒川のエッセイ「住宅をつくるということ」の第5回が掲載されています。今回、当blogでは前号8月号掲載の「住宅を作るということ 第4回」の全文を転載いたします。
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【ヘイルメリー8月号掲載】
ハウスデザイナーからの手紙 「住宅を作るということ 第4回」
光は見えない。
光そのものは見えない。照明デザイナーさんがよく言います。空中を飛んでいる、飛んでいるという表現が適切なのかよくわかりませんが、感覚的には飛んでいるという表現が一番馴染む気がします。光が粒子なのか波なのかよくわかりませんが、いずれにしても飛んでいる光そのものは見えないということです。
たとえば暗い蔵の中に一条の光が差し込み、光線として見えるときがあるじゃないかと思うかもしれませんが、これは空気中の塵に光が反射して塵が見えているだけなので、光が見えているわけではないのです。太陽の光は地球や月にあたって初めて光っているのがわかるだけで、宇宙空間を飛び交っている光そのものは見えません、行ってみたことはもちろんありませんが。
光が見えるのは次の三つの場合のみです。
一つ目は反射光。月のように光が何かに反射して、その面が明るいと感じる場合です。住宅や建築のデザインではこの反射光の扱い方で、気持ちの良さが左右されます。
二つ目は透過光。光が素材を透過した時その面が明るく見えるというような場合です。代表的な物は障子の明かりです。森の中で赤くなったモミジの葉に光が射して葉を裏から見ると赤く光っているように見える現象も、これにあたると思います。とてもきれいです。この二つの光は目に優しく、とても美しく、空間をデザインするということはこの二つの光をコントロールすることだといいきっても良いと思います。
もう一つは光源。一番身近な光源は太陽そのものですが、太陽は直視できないくらい眩しく、これ自体は先の二つのように反射させたり、透過させたりしないと、百害あって一利なしということになってしまいます。身近な空間の中ではダウンライトの光や、今私がこのコラムを書いている事務所の天井で煌々と光っているむき出しの蛍光灯もこれにあたります。
街や住宅に氾濫しているので探さなくても目に入ってきますが、決して気持ちの良さに結び付くような光ではありません。意識を覚醒させ作業効率を改善したりする効果はあると思いますが、住空間の中ではあまりほしいものではないと思いますし、光源そのものが見えてしまうと美しさとか気持ちの良さは逃げて行ってしまいます。眩しくないグレアレスの器具を使えば事務作業をするために平面照度が欲しい場合でも、眩しさを感じなくても済みます。最近ではグレアレスのダウンライトというものが店舗だけでなく住空間の中にも普及し始めていて、100%点灯していても光っているのかどうかわからないくらいですが、照度が必要な面にはしっかり光は届いています。
照明器具でも反射光として光をデザインしているものと、透過光をデザインしているものがあります。透過光をデザインしている器具は光源よりもひとまわり大きなガラスや紙や樹脂のシェードをかぶせて目に優しい輝度を下げています。たとえばジャスパー・モリソンがデザインしたGLO-BALLやイサム・ノグチのAKARIシリーズ、まあ簡単に言えば行燈ですが、これらは透過光の代表選手です。
一方反射光いわゆる間接光の照明器具の代表選手はなんといってもlouis poulsenのPH ARTICHOKEでしょうか。
本当にどこから見ても光源が見えず、羽に当たった間接光で周囲を明るくするようにデザインされています。 この三種類の見える光の理屈をよく理解していれば住空間は見違えるほど美しく見えるようになります。打ち合わせ中のお客様にはお金をかけるなら仕上げ材よりもまずは照明計画ですとお話ししています。空間をきれいに見せるためのコストパフォーマンスはそれが一番良いと思います。