【ヘイルメリー11月号掲載】
ハウスデザイナーからの手紙 「住宅を作るということ 第7回」
町と住宅の関係を考える
都市によって街路と住宅の関係はかなり違う様相を示しますが、国による差異は非常に大きく見たことのないような街並みを見るとそれだけでも興奮し、時間を忘れてしまうようなこともあります。ただ日本国内でも、範囲を狭めて関東、もしかすると東京の中でも街によって様子が変わります。下町は、空が狭く緑も少ない印象を受けますが、成城の住宅地のように比較的ゆったりした街には緑も多く、圧倒的な余裕を感じます。ただこれは一概にどちらがいいという話ではなく、密度が高いエリアは、うまく計画すれば活気がある雰囲気が生まれ、たいていの場合交通の便が良く、逆にゆったりした住宅地は駅までの距離が遠く、車がないと不自由な場所だったりします。
日本ではありませんが、フランクロイドライトの街といってもよさそうなシカゴのオークパークという街は、オークパークというくらいで、実際に街にはたくさんのオークが植えられ、そちらが先かもしれませんが、森の中に住宅地を作ったかのような様相を呈しています。成城の街並みに似ているという印象も受けます。そこはアメリカと日本、ゆったり度合いは違いますが。
では街の雰囲気の違いはどこから生まれるのか。日本ではゾーニングという手法でその地域や街の性格を決める用途地域が定められ、その上で建蔽率の制限を変え、(建蔽率というのは敷地の面積に対してどれくらの割合で建物が建っているかという比率のことです)高さ制限を加え、緑化量の規制を設け、それで街の密度や緑量をコントロールしています。また敷地の中での建蔽率だけで決まるわけでもなく、道路も含めた街全体の建蔽率という考え方もあり、その違いでも印象はかなり変わります。このように建蔽率の制限で、街の雰囲気が左右されるのは間違いないのですが、街の雰囲気はそういう数字の規制だけで決まるわけでもなく、たとえば街がなかった場所を開発して住宅地を作る場合と、自然発生的に生まれた場所ではまったく様子が変わってしまいますし、もともとお屋敷街だった土地とか、神社仏閣が多い場所とか幾度となく川が氾濫していた場所だったり、戦争や地震で焼け野原になった後に大鉈を振るって都市計画を実施したり、または振るえなかったり、そういう街のコンテクストの違いによる影響は大きいのだと思います。
人為的に都市計画がなされている京都や札幌などがきれいな碁盤目の街路なのに対し、東京は環状線と放射状に伸びた道路で構成されていますが、明確な都市計画はないというのが実情のようです。言葉にすると似ていますが凱旋門を中心に放射状に道が広がるパリとも異なり混沌としています。格子状のマンハッタンの中でブロードウェイは格子を無視するかのように斜めに走り、街に変化が生まれていますが、どうも後から斜めに道を通したのではなく、もともとあった道がそこだけ残ったことによって生まれたようです。どうも人が考えたものではなく、作為がないものが混じっていたほうが面白いものが生まれるようです。
今回は街の話ばかりになってしまいましたが、テーマは「住宅を作るということ」なのでこれからこうした街の成り立ちの中で、住宅と街の関係を書いていきたいと思います。