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【HailMary5月号掲載分】ハウスデザイナーからの手紙 #32

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ハウスデザイナーからの手紙

ヘイルメリーマガジンに連載されている荒川のコラムです。早いものでもう30回を超えました。同誌には、現在荒川が手掛けている「浜田山シェルター」の建築記も連載中ですので、是非書店でお手に取っていただければと思います。

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ヘイルメリーマガジン 2022年5月号掲載

荒川圭史/ハウスデザイナーからの手紙 「住宅を作るということ 第32回」

緑のこと その5

住宅をデザインするとき光の存在、中間領域と合わせて緑の存在は大きなテーマになっています。もう5年も前の話になってしまいますが緑を中心に据えて計画した住宅があります。

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街に溢れているコンクリートブロックの塀とアルミのフェンスが嫌で、それは今でも変わっていませんが、特に建物と道路の間の隙間が30cmくらいしかなくても、とにかく道路との境界部分にはブロックとフェンスを建てるというのが決まりになっているかのように、東京の住宅地に行くとそんな状態のブロックとフェンスが溢れています。槇文彦さんの見え隠れする都市という本の中で大野秀敏さんが、これは江戸時代からの武家屋敷に対する庶民のあこがれの気持ちが今も脈々と生き続け、100坪の土地が50坪になり、さらに25坪になってもわずかな隙間を自分の領地だと主張するかのように塀を建てることが慣習になってしまい、そのおかげで東京の住宅地はこんな風景になってしまったというような話をされており、なるほどと腑に落ちた覚えがあります。

生け垣を植えるほどの隙間もないのであれば塀は立てずに、道を歩いている人と目線が合わないように窓を上の方に設けるとか、もしくは京都の町屋のようにフェンスではなく目の細かい格子を入れるなど何かしらやりようはあると思うのですが。

14年ほど前に「おたがいさまハウス」という名前を付けた住宅を作っています。先ほど格子でも入れればと書きましたが、この当時私の中では格子がブームになっていて、やたらと格子が入ったデザインをしていました。当時の責任者からはまた格子かとよく言われていたのを思い出します。

この二つの写真を見比べてもらうと一目瞭然だと思いますが、窓から道路までの距離はわずか30cm、格子を入れただけで、カーテンも紙障子もない状態でも気恥ずかしさをまったく感じることがない居心地の良い空間が生まれました。外からは中が全く見えないわけではないのですが、ほぼ視線は気にせず生活できる状態になります。格子が無ければとても普通に生活はできない状態です。

格子なしの祐天寺.JPGのサムネイル画像_MG_3139.JPGのサムネイル画像

こうして東京も京都のように格子であふれてもいいのかも、と思っていたこともありました。その後格子は流行に近いものになり、ものすごい勢いで住宅の建材として世の中に幅を利かせ始めるようになるのですが、どうも思ったような方向と少し違う方向に進み始め、どのメーカーの商品も質感はいま一つぱっとせず、隙間も大きく落ち着いた雰囲気を作りだすことはできず中途半端な状態になってしまっています。街並みにも統一感が生まれるのかと思いきや、逆に格子自体がノイズになってしまっているような例も増えてしまいました。

法律が少し緩くなり準防火のエリアに木製でも2m以上の塀が作れるようになったようなので、少し良い方向に進むといいなと思っています。ウッドデッキの話のところでも書いていますが、腐りにくい木のトライアルは引き続き続けています。

そんな思いを持ちつつ、やはり植物で格子のような効果を生み出すことができないかということも、平行して考えていました。

植物で道路から敷地を囲うとすると当たり前に思いつくのは生け垣です。行政の緑化の指導要綱でも、接道部分は生け垣を植えてください、という指導は多いのですが、生け垣といって思い出すのは、子供の頃大きな家の周りにあったカイズカイブキ、モンスターのような表情で、なんとなくおどろおどろしく、けっして気持ちが良いという類のものではありませんでした。ゴッホの絵によく出てくるものと同じかと思っていましたが少し違うようです。ネズミモチの生け垣もどこにでもあって、実の中の白いスプーンのような種を出して遊んでいた記憶はありますが、決して楽しかったわけでもなく、残念ながらきれいとか気持ちいいという感情を持ったこともありません。さざんかは歌では覚えているのですが、実際のさざんかの生け垣のイメージはあまり持っていません。少し前のマンションの目隠しにやたらと使われていたベニカナメモチというか、ほとんどはレッドロビンといわれている少し違う品種の方だと思いますが、これもやたらと成長が速いだけで、気持ちの良さに結びつくようなものではありませんでした。というわけで、生け垣にはどうもあまりいいイメージを持っていないのです。

それで生け垣ではなく、格子のようにインターフェースとして機能し、安心感や潤いなど気持ちの良さを生み出してくれるような、道路と敷地の境界部分の装置が作れないかと考えている中で、緑の壁が次第に形になっていきました。

住宅をデザインするとき光の存在、中間領域と合わせて緑の存在は大きなテーマになっています。もう5年も前の話になってしまいますが緑を中心に据えて計画した住宅があります。

街に溢れているコンクリートブロックの塀とアルミのフェンスが嫌でそれは今でも変わっていませんが、特に建物と道路の間の隙間が30cmくらいしかなくてもとにかく道路との境界部分にはブロックとフェンスを建てるというのが決まりになっているかのように東京の住宅地に行くとそんな状態のブロックとフェンスが溢れています。槇文彦さんの見え隠れする都市という本の中で大野秀敏さんが、これは江戸時代からの武家屋敷に対する庶民のあこがれの気持ちが今も脈々と生き続け、100坪の土地が50坪になり、さらに25坪になってもわずかな隙間を自分の領地だと主張するかのように塀を建てることが慣習になってしまい、そのおかげで東京の住宅地はこんな風景になってしまったというような話をされており、なるほどと腑に落ちた覚えがあります。

生け垣を植えるほどの隙間もないのであれば塀は立てずに、道を歩いている人と目線が合わないように窓を上の方に設けるとか、もしくは京都の町屋のようにフェンスではなく目の細かい格子を入れるなど何かしらやりようはあると思うのですが。

「はなまねき」からさかのぼることさらに8年余り「おたがさまハウス」という名前を付けた住宅を作っています。先ほど格子でも入れればと書きましたが、この当時私の中では格子がブームになっていて、やたらと格子が入ったデザインをしていました。当時の責任者からはまた格子かとよく言われていたのを思い出します。

この二つの写真を見比べてもらうと一目瞭然だと思いますが、窓から道路までの距離はわずか30cm、格子を入れただけで、カーテンも紙障子もない状態でも気恥ずかしさをまったく感じることがない居心地の良い空間が生まれました。外からは中が全く見えないわけではないのですが、ほぼ視線は気にせず生活できる状態になります。格子が無ければとても普通に生活はできない状態です。

こうして東京も京都のように格子であふれてもいいのかも、と思っていたこともありました。その後格子は流行に近いものになり、ものすごい勢いで住宅の建材として世の中に幅を利かせ始めるようになるのですが、どうも思ったような方向と少し違う方向に進み始め、どのメーカーの商品も質感はいま一つぱっとせず、隙間も大きく落ち着いた雰囲気を作りだすことはできず中途半端な状態になってしまっています。街並みにも統一感が生まれるのかと思いきや、逆に格子自体がノイズになってしまっているような例も増えてしまいました。

法律が少し緩くなり準防火のエリアに木製でも2m以上の塀が作れるようになったようなので、少し良い方向に進むといいなと思っています。ウッドデッキの話のところでも書いていますが腐りにくい木のトライアルは引き続き続けています。

そんな思いを持ちつつ、やはり植物で格子のような効果を生み出すことができないかということも、平行して考えていました。植物で道路から敷地を囲うとすると当たり前に思いつくのは生け垣です。行政の緑化の指導要綱でも、接道部分は生け垣を植えてください。という指導は多いのですが、生け垣といって思い出すのは、子供の頃大きな家の周りにあったカイズカイブキ、モンスターのような表情でなんとなくおどろおどろしく、けっして気持ちが良いという類のものではありませんでした。ゴッホの絵によく出てくるものと同じかと思っていましたが少し違うようです。ネズミモチの生け垣もどこにでもあって実の中の白いスプーンのような種を出して遊んでいた記憶はありますが、決して楽しかったわけでもなく残念ながらきれいとか気持ちいいという感情を持ったこともありません。さざんかは歌では覚えているのですが実際のさざんかの生け垣のイメージはあまり持っていません。少し前のマンションの目隠しにやたらと使われていたベニカナメモチというかほとんどはレッドロビンといわれている少し違う品種の方だと思いますが、これもやたらと成長が速いだけで気持ちの良さに結びつくようなものではありませんでした。というわけで、生け垣にはどうもあまりいいイメージを持っていないのです。

それで生け垣ではなく格子のようにインターフェースとして機能し、安心感や潤いなど気持ちの良さを生み出してくれるような道路と敷地の境界部分の装置が作れないかと考えている中で、緑の壁が次第に形になっていきました。このころから自然というか植物だけに頼りきるのではなく、身近においておくものは本物の自然ではなく人の手を加えることで人の都合の良い形に制御できるものの方が良いのではないかというような考えが生まれてきていました。そのような経過で緑とともに住まう住宅が出来上がっていきました。今回は前置きで終わってしまいましたが、詳細については次回以降お話しできればと思います。

このころから自然というか植物だけに頼りきるのではなく、身近においておくものは本物の自然ではなく、人の手を加えることで人の都合の良い形に制御できるものの方が良いのではないかというような考えが生まれてきていました。そのような経過で緑とともに住まう住宅が出来上がっていきました。今回は前置きで終わってしまいましたが、詳細については次回以降お話しできればと思います。

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