ヘイルメリーマガジン 2023年5月号掲載
荒川圭史/ハウスデザイナーからの手紙 「住宅を作るということ 第38回」
住宅とアート その2
もともと住宅は、暑さ寒さ雨風から身を守ることや、外敵から人の命を守ることを目的に作られたものだったのだと思います。それは今も変わりなく、地震や自然災害が起きると改めて耐震性能や耐火性能能の重要性がクローズアップされるのですが、この機能は住宅が住宅として存在するためには最も必要な機能です。命が守られて心配する必要がなくなると、今度は快適さ心地よさ美しさにといったものに関心が向かっていきます。
自分が子供だった頃の日常を考えると、今の生活とは比べようもないくらい不自由なことが多かったと思います。それが当たり前だったので不自由だとは思ってはいませんでしたが、電話は当然固定電話でインターネットなどあるわけもなく、家に電話がない場合は近所の電話を借りていたというような生活も当たり前の時代でした。
TVはやっと普及してきて、子供向けの番組で腕時計に向かって話しかけ流星号(当時はやっていたスーパージェッターの乗り物)を呼び出したり、科学特捜隊が胸に付けたバッチを無線機にして応援を求めたり、いつかそんな世界が実現するのかとワクワクしながらTVを見ていたものです。この前GOアプリでタクシーを呼び出しているのを見ていて、これは当時のSF番組で行われていたことが現実になっているのではないかと妙にワクワクしてしまいました。それだけ世の中が便利になっている中、家を新築することの満足感も変わってきています。仕事を始めたころは設備が新しくなるというだけで幸せな気持ちになれていたような気がします。特に当時は建て替える前の家の水回りは今ほど快適ではなく、家が新しくなるとユニットバスは寒い場所ではなくなり、シャワーからはいつでも暖かいお湯がふんだんに出るようになる、トイレにはウォシュレットが当たり前につき、キッチンもシステムキッチンが当たり前になり、そういう清潔さや身体的な心地よさだけでも十分満足につながっていた気がします。
そういう機能的なことが当たり前に満たされてくると、次は何か新しい刺激を求めていくというのが人間なのだと思います。照明も間接照明が当たり前になり、便利さから快適さ、快適さから美しさや居心地の良さという風に、要求されるものが日常的機能的なものから情緒的なものに変化し、その先には住空間にアートを求め始めるような状況が生まれていくのかもしれません。と書いていくと妙に理路整然と、何故今世の中がアートを求めるようになったのか、何故自分の居場所としての住宅の中にもアートを求めるようになってきたのかを説明しているように見えますが、話はそんなに単純なわけはなく、いまアートがもてはやされている理由はもっとわけのわからない別のところにあるはずです。
例えば今から2万年も前にラスコーの洞窟の中に壁画を書いたのはクロマニヨン人です。いまでいうアートとは違うと思いますが、生活にゆとりができて絵でもかいてみようと描いたものではないのは間違いないと思います。宗教的な感情なのか、人が人として存在するために何かを表現したいという衝動に駆られて表現したものなのかは知る由もないのですが、アートという存在は何かそういう得体のしれないものなのかと思います。
先日アートのある住まいをテーマの一つとした瀬田の住宅展示場で5枚のアートを提供していただいた小野耕石さんと対談をしました。アーティストとしてはそのアートを作ろうとする衝動みたいなものは、それがどこに展示されるのか、見る人にどんな風に見てもらいたいか、そんなことを考えて作るわけではなく何か引っかかるものを形にしたい、一見すると気持ちよさというよりは少しグロテスクなものの本質みたいなものを形にしたいという衝動から作っていて、例えば今回提供してもらっているHundred Layers of Colorsという作品もまさにそんな状況の中から生まれたようです。
*小野さんのアトリエにて
ですから、他者との関係性からではなく自らの作りたいという衝動から制作しているわけで、その説明のしようがないエネルギーそのものがアートと呼ばれているものの本質なのでしょうか。私が扱っている住宅にもそんな側面がないわけでもないのですが、住宅の場合、ある程度状況さえ正しく理解すれば正解は存在し、基本的には理屈で説明できる部分が多く、というより逆に言葉で説明ができることが必要だと考えています。
そういう部分で住宅のデザインとアートは全く別のものだということが分かったような気がします。今後アートがもっと身近な存在になり、住宅の中に普通にアートがあるような状況になっていくと、多くの人たちが、蛇口をひねればいつでもお湯が出るような豊かさとは別の豊かさを感じられるようになっていくのかもしれません。