ヘイルメリーマガジン 2024年1月号掲載
荒川圭史/ハウスデザイナーからの手紙 「住宅を作るということ 第42回」
住宅とは光を取り込む装置である。その3
明治村に行ってきました。恥ずかしながら、行ったことがなく、ずっと気にはなっていました。もちろん目的はフランク・ロイド・ライトの設計による二代目帝国ホテルです。
初めてエレキギターに触れた高校生の頃、世界の三大ギタリスト、クラプトン、ベック、ペイジのうちあなたは誰が好きみたいな乗りで、建築学部に入って、世界の三大建築家、ライト、コルビュジエ、ミースのうちあなたは誰が好きみたいな感じで初めて巨匠といわれている建築家に触れた気がします。その当時は、正直フランク・ロイド・ライトの建築物は装飾過多に見え、同時に少し古臭く感じられてあまり好印象は持っていませんでした。もちろん今はかなり違う印象を持っていますが。
日本で設計した二代目帝国ホテルが関東大震災でも壊れなかったとか、大谷石をふんだんに使っていたというような伝説的な話と一緒に、フランク・ロイド・ライトは特に建築に関わっているような人でなくとも知っている、もしかすると日本で一番有名な建築家かもしれません。二代目帝国ホテルは1967年から解体が始まっており、当時6才の私はもちろん建物の姿を見た記憶はないのですが、大学の先生が解体現場で大谷石の一部を貰ってきたというような話をされていたのも覚えているので、全く歴史上の話でもなく、ちょっとだけ同時代を生きていた建物という感覚は持っていました。
そんな貴重な建物の一部それも割と中心的な部分が移築されているのに見に行けてないということで、いつか見に行きたいと気にはなっていましたが、今年帝国ホテル二代目日本館が100周年ということで、CASA BRUTUSが特集を組んだり、現・帝国ホテルや明治村、豊田市美術館で展示会が組まれたりしている中、重い腰を上げて明治村の二代目帝国ホテルの中央玄関を見に行くことにしたのです。
*明治村に移築保存されているフランク・ロイド・ライト設計の二代目帝国ホテルの中央玄関部。迎賓施設としての威厳と華やかさが実感できる。
これはすごい、と無条件に驚き、同時に後で気が付くとやたらにたくさん写真を撮っているというような建物にはなかなか巡り合えないと思いますが、ここでは気が付くとかなりの時間をかけてたくさん写真を撮っていました。意匠的な話でも感じたことは多くありましたが、今回も一番強い印象に残ったのは光の取り込み方です。最近このコラムでも瀬田に計画した住宅展示場での西日の取り扱い方の話をしていますが、今回もまた西日の話です。
元々日比谷にあった帝国ホテルは日比谷公園に正面を向けて建っていたので、北西向きといってもほぼ西向きに建っていたと思われます。移築された場所ではほぼ南向きに建っているので、玄関内部に入ってくる光はかなり様子が違うものになっていると思われます。当時の光を再現することはできないのですが、私が実際に玄関内部を見学した午後3時くらいには西側面から低い角度で、奥の方まで西日が入り込んでいました。西から装飾格子越しに入り込んだ光はホールの奥の床まで到達し、光だまりを作り、一部は浅いところで床に反射して天井を照らし、空間全体に命を与えるような光のグラデーションを作り出していました。
最近つくづく思うのですが、やはり午後の日差しはとてもきれいで何とかこの光を住宅の空間にも取り入れたいと思っているのですが、問題は光とともに入り込む熱なのです。
ライトの建物では、外に石やスチールの装飾格子を用いて熱をある程度遮っているのと空間自体が大きいということで、大きな問題にはならないのかもしれません。瀬田展示場のヘーベルハウスでは西側の窓前に大きな桂(落葉樹)を植えておくことで夏はたくさん茂った葉によって陰影を作り出し、さらに内側に設けたウッドブラインドで室内に規則的な光の格子パターンを作り出し、温熱環境的にも視覚的にも心地良いと感じられる室内空間を作り出しています。
出来ることなら本当は外側にブラインドを設けたいのですが、ブラインドを外に設けるには耐久性やコストの問題があり、実際にはなかなか計画出来ないでいます。オスモで扱っているヴァレーマというドイツの商品は何度か試みたことはあり、とても良いのですが、やはり高価です。ただ最近国内のサッシメーカーでも外付けのブラインドが商品化されており、窓の外にブラインドを設けるという選択肢が一般的になってきています。そうなると建物の設計手法そのものが変化するくらいの大きなインパクトがある話だと思っています。