ヘイルメリーマガジン 2023年7月号掲載
荒川圭史/ハウスデザイナーからの手紙 「住宅を作るということ 第39回」
住宅とは光を取り込む装置である その2-西日-
もうずいぶん前の話になりますが、コラムを連載し始めてまだ日も浅いころ、「住宅とは光を取り込む装置である」という例えで表現しました。当時話をしたのは主に北側からの光の話で、確かに方位による光の性格を理解すると住宅の設計は飛躍的に進化すると思います。
その中で南や北の光というのは比較的処理しやすく一般的なのですが、西日ということになると、
「そんなもの熱くてかなわない」
「大体西日が入るようなところにものを置いたら腐ってしまうよ」
と叱られそうです。このコラムの33回で瀬田展示場を例に挙げ、西日を防ぐ自然のブラインドとして落葉樹で西日の熱さを防ぐという内容の文章を掲載していますが、その時はまだアイデアレベルの話でした。ゴールデンウィークも間近な4月になり、実際に植えたカツラもアメリカハナナシもシマサルスベリもアオダモも勢いよく芽吹いてくれ、殺風景であった外観も生き生きとして潤いのある形に変わりました。
最近感じていることなのですが、低い角度から入ってくる少し赤みがかった西日は非常にきれいで、その陽だまりを見て美しいとか気持ちよさそうという感情を持たない人はいないのではないかと思っています。ましてやブラインド越しの格子状の影と光の織り成す模様とか、もっと自然な木漏れ日的なものは誰が見ても美しいと思うと思います。ただ、夕焼けの光とか冬の陽だまりという言葉を聞くと、まったり気持ちの良いという印象が先行しますが、ギラギラした西日というと勘弁してくださいという気持ちに変わってしまいます。
基本的に同じものなのですが、季節によって感じ方は全く変わってしまいます。ですからうまく付き合う方法があれば住空間に非常に有用な光ということになり、使い方を間違えるととんでもない厄介者に変わってしまう、もろ刃のやいばといった存在なのでしょう。
瀬田展示場の例をいくつかお見せします。
*よく育った瀬田展示場の西側日除けのカツラの樹
この計画では階段室の西側にかなり大きな三層に渡る窓を設け、その正面に8mを超える大きなカツラの樹を植えました。カツラはハート形の葉が特徴的で、新緑の季節の黄緑色がほんとうに美しく、1階からはこの樹の根本、2階からは中間部、3階からは樹のテッペンが間近に観察でき、ついじっと見てしまいます。午後3時くらいになるとカツラの枝越しに木漏れ日が入り込みます。ウッドブラインドでその光を調整しながら床に写り込む影と光は、ずっと見ていても飽きないような美しさで住空間に心地よさを送り込んでくれます。
ましてやこれが階段室の壁を斜めになめるように入り込み、アートのかかった大きな壁面に木漏れ日の揺らぎを映しこんでいるさまはうっとりしてしまうような美しさを持っています。この展示場では、西日の扱いをかなり大きなテーマにしているので、他にもリビングや風呂上がりに休むラウンジ的なスペースにも心地よさを運んでくれています。
このように格子や樹木によってその陰を見せることで、光を逆に視覚化し気持ちの良さを生み出すという手法はもっと積極的に活用してもよいかと思っています。ただし、うまくコントロールができない場合は、西日のマイナス面のみがクローズアップされてしまい「西日なんて入らないようにした方がいいのだ」という短絡的な思考に走ってしまいがちです。今回のように樹木やブラインドを使いこなし、西日とうまく付き合っていくと住宅の空間ももっと快適なものになっていくと思います。最近はヘーベルハウスで使うのはなかなか難しいのですが、外付けのブラインドのようなものも商品化されているようですし、手の届かないところに電動のシャッターを下ろせるようにあらかじめ設定しておくというようなことをしたうえで、積極的に西日を取り込んでいくということもやり始めています。